ELEMENTAL WORKSの鑑定と他の鑑定との決定的な差は「当たる占いよりも、幸せになる占い」でありたいという部分です。「当たる当たらない」という価値観ではなく「幸せになる為に如何に自分を見つめ直していくか、幸せを感じ取れる感性を自分の中に見出して行けるか」を重要視しています。
現代の占いでは「当たる」ことが大前提であるようです。そして「当たる」と言われる占いがメディアやネットの世界でももてはやされています。「当たった」という実感は非常にインパクトがありますし、そこで感じた印象はその占いへの信頼へ置き換えられて行くことになります。
しかし「当たった」という事実だけで、その人が自分の人生にある課題に気付いたり、自分を顧みることがあるでしょうか。「当たった」というインパクトの中に、置き去りにされて行く大切な要素はないのでしょうか。「当たった」ことだけで「幸せ」になれるでしょうか。
「当たる」ことを重要視し、結論だけを知りたいと思い、その結論に期待をすることだけに意識を傾けるのであれば、それを提供する占いは他にたくさんあります。またそれを選択することも可能ですから、私でなくともその望みを叶えてくれる方は世の中にたくさん存在しているはずです。
またELEMENTAL WORKSでは私の生い立ちを綴ったブログ「空無の森」を読まれたり、私の経験して来た人生の歩みに、ある種のシンパシーを抱いてご連絡を下さったり、鑑定を依頼されるケースがとても多い実情があります。私自身が自分の人生の痛みの歴史を曝け出すことによって「あの人ならば自分のことを理解してくれるかもしれない」と感じて頂けているのだろうと思います。「空無の森」が私という存在を発見して頂ける目印としてささやかながらに機能して、心を痛めている方々と接点を持つことが出来ているとしたらそれは嬉しい事です。
こうした私の経験により、引きこもり、不登校を経験している方々、心の病で苦しんでいる方々、心に深い痛みを持っている方々と鑑定を通して繋がり、その後「占い」や「鑑定」という範疇を超えて心からのコミュニケーションを計り、何年もの間、家族的な繋がりを持ったり、友人として親しくさせて頂いている方が多くいらっしゃいます。また県外からも多くの方が私に会いに来て下さっています。そうした方々の「幸せになっていく姿」「幸せを幸せだと感じられる様になっていく姿」を見守り続けられることは私の生き甲斐にもなっています。そして鑑定で頂いている料金は幸せになるために一時的に預かっている保証金であると考えています。依頼される方々とこういう関係で繋がれていることそのものが最初にも書いた「当たる占いよりも、幸せになれる占いでありたい」ということの真意を如実に物語っているのではないかと思いますし、他の鑑定と明らかに違う部分です。
またELEMENTAL WORKSの鑑定の本分はコミュニケーションにこそにあります。鑑定文をお送りしてそれで終わりではなく、本当の意味での皆様との関わりは鑑定文をお送りした後から始まると言っても良いくらいです。一度目の鑑定よりは二度目の鑑定の方がより、深く心に響くことになります。
ELEMENTAL WORKSがお送りする鑑定文は長文(多い時は2〜3万字に及びます)で、時に難しい言い回しや、表現もありますし、自分の中で咀嚼したり、考えたりすることが促されもします。それは1つのリトマス紙でもあります。その鑑定文との向き合い方で自分の人生への関わり方が見えて来るんです。鑑定文はきっと読んですぐには理解出来るものではないかもしれません。直視出来ず読んですぐに目を伏せてしまう方もいらっしゃるはずですし、また時には抽象的だと感じる方もいます。しかし半年後や一年後と時間を置いて読んでみることで、その意味するところが理解出来たり、スッと胸に染み入って来る言葉があるはずです。
他の鑑定では、鑑定後の質問は一往復であれば無料ですが二度目からは有料となるケースが多い様ですが、当方では上記の様な理由から、無期限、無料で質問にお答えをしたりもしますし、お話を伺ったり、アドバイスを差し上げたりしています。
皆様に如何に寄り添えるか、皆様に如何に人生とは素晴らしいものだと分かって頂けるか、1人ではないと実感して頂くかに重きを置いているのです。
私の活動の主体は「占い」そのものにはありません。「占い」は私にとっての皆様と出会う為のツールです。だからといって鑑定そのものを軽視している訳でも勿論ありません。「篁霊祥命」という鑑定手法やその様式に自負を持っています。しかし、その神秘性よりも、むしろ皆さんと如何に繋がるか、皆さんに何を伝えられるかこそが、肝だと考えています。
私にとって「占い」は「物販」ではありません。「占い」とは「先生」と呼ばれる職業であってもいけないと思っています。私にとっての「占い」はお金と引き換えに渡す「商品」ではないし、高いところから下に下ろす託宣のようなものでもありません。私の鑑定は「コミュニケーション」にこそあります。
「当たる」「当たらない」に固執したり、結果をすぐに求めたい自分がいるとしたら、それは本当の意味で「今」を生きていることになるでしょうか。自分の痛みの根源にスポットを浴びせられているでしょうか。自分に自信を持てているでしょうか。鑑定文を読んで直視出来なかったり、抽象的だと切り捨てることで、自分にある課題や気付きの種に蓋をしてしまってはいないでしょうか。鑑定が終わってからが本当の意味での「コミュニケーション」が始まります。遠慮なくアドバイスを求めたり、聞きたいと思ったことを聞いたり、ぶつけたいことをぶつけて下さい。その「心の交流」にこそ私の鑑定の真髄があるはずです。
最後に私を「発見」して頂き、このページを読んで頂いたことを感謝致します。